皆川賢太郎さんに聞くパーソナルレッスン

プロスキーヤー皆川賢太郎さんに聞くパーソナルレッスン
Interviews with KENTARO MINAGAWA

インタビュー 皆川賢太郎さん

アルペンスキー オリンピック代表として活躍し、現在はプロスキーヤーとして活動する一方、いままでの経験をもとに講演活動もこなす皆川賢太郎さん。

プロスキーヤーに転向をきっかけに様々な方面から、講演依頼を受けるようになりました。

スポーツ選手として過ごしてきた皆川さんにとって、人前での講演はハードルが高かったといいます。

そんな皆川さんも「すぴ検」のレッスン経験者です。パーソナルレッスンのコースを体験した皆川さんにお話を伺いました。



Q. 今回、パーソナル・レッスンを受講するきっかけとなったことは何ですか?

20年間続いた現役生活を終えて、「自分の経験を話してみないか?」というお声かけをいただきました。人前で話をするならば、この機会にしっかりと勉強したほうが良いだろうと思い受講することを決めました。

Q. レッスンを経て実際に講演した感想を聞かせてください。

正直なところ、「講演をする」ということは僕にとって非常にハードルが高いことでした。

周りからは、「自分の経験したことを話せばいいんだよ」と言われましたが、実際には何をどのように、どんな組み立てで話したらいいのかがまったく解りませんでした。話す内容、その順番など、講演の道筋をきちんと一緒に創ってもらえたことが非常に良かったと思います。

プレゼンテーションを行う 皆川賢太郎さん

Q. レッスンの進行方法について気づいたことはありますか?

まず第一に、「学校」に通ってレッスンするのは時間的に難しかったので、僕のスケジュールに合わせて、時間に融通が利いた点がとても良かったです。

そして、ビデオ撮影で「自分を見る」ということですね。最初は恥ずかしかったですが、レッスンを重ねていくうちに段々と良くなっていく自分を以前の自分と照らし合わせながら確認できました。

その中で、例えばここでは手をこんなふうに使った方が良い、とか、ここではもっと感情をこめて言った方が良い、などの細部について指導いただけました。

講演される皆川賢太郎さん

我流で話していたら棒読みになってしまうと思うのですが、それでは聞いている人にはこんなふうに聞こえてしまうんだよ、ということを客観的に知ることができたのはとても良かったです。

Q. 今後、現役を引退してスポーツ文化人として活躍なさる方々に対してコメントをお願いします。

一番感じたことは、僕らのようにスポーツに携わってきた人たちは、何かをやるには必ずひとつの事に向かって時間を費やしてきたと思うんですよね。

求められていることが「講演」「自分の経験を語る」ということは、人に伝える、人前に出て話をするという立場に置かれるということ。それに相応しい人間であるためには、それなりの「準備と時間」が必要だろうと思います。

僕自身とても貴重な経験を積ませてもらいました。人前で話す、人に伝えるというスキルを磨くために、ぜひ皆さんにも受講してもらいたいと思います。

Q. 今回のレッスンとスポーツとの共通点はありましたか?

何でもそうですが、「成功する」とか「ある程度のレベルに達する」ためには、必ずそれに見合うだけの準備と理由があると思います。

今回も、我流でやっていたらなかなか人に伝えることができなかったでしょうし、しっかりとしたストーリーを語ることはできなかっただろうと思うのです。そういう意味では、やはりプロの人たちときちんとしたストーリーを組み立てていくことで、自分の話がしっかりとまとまっていくのを感じました。

例えばスポーツでも、大会に行くまではしっかりと納得がいくまで準備をして、これでいいと思える状態になってから本番に臨むものです。講演もまったく同じだと思いますね。

Q. 受講のご感想をひとことで表現すると?

『「自分の言葉」をしっかりと手に入れられた』ということでしょうか。

もともと自分の中にあったメッセージだったとは思うのですが、それをプロの方々と一緒に確認して組み立てられたことで、想いや考えを「自分の言葉」で伝えることができるようになりました。大きな収穫でした。

皆川賢太郎[プリンスホテルスキー部] プロフィール

プロスキーヤー 皆川賢太郎

2001年、日本人4人目の第一シード入りを果たし、若くして日本のエースとしての地位を確立していたが、ソルトレイクオリンピック後に左膝前十字靱帯断裂の大怪我を負う。長期の戦線離脱を余儀なくされるものの、懸命なリハビリの結果、2004年に競技に復帰した。

従来の長いスキー板からカービングスキー(短い板)に一早く切り替えた結果、2004-2005シーズンW杯第8戦で4年ぶりとなる入賞。さらに2005-2006シーズンW杯では自己最高となる4位を筆頭に安定した成績を残し、トリノオリンピックでは3位と100分の3秒差の4位に入り、日本人として50年ぶりの入賞を果たした。


しかし、バンクーバーオリンピックに向けスタートを切った矢先に再び試練が立ちはだかる。今度は右膝前十字靱帯を損傷し、再び戦列をはなれた。適切な治療とリハビリにより、当初の予定より2ヶ月も早く雪上に復帰し、2007-2008シーズンのW杯全戦に出場した。バンクーバーオリンピックでは攻めの滑りで挑むも、一本目で途中棄権となる。オリンピック直後、現役続行を表明し、2011-2012シーズンより実戦復帰を果たし、2012-2013シーズンはFar East Cupで総合優勝を果たす。

2014年3月、アルペンスキーヤーを引退。プロスキーヤーとして全日本スキー技術選手権大会出場を発表、2016年アルペンスキーW杯の実行委員会副会長に就任するなど、ウィンタースポーツの発展の為に経験を活かしていく。

→ 皆川賢太郎オフィシャルサイト